Thursday, October 19, 2006

三冠の【PWF選手権】

belt2.jpgPWFとは、 パシフィック レスリング フェデレーション の頭文字であり、 初代の会長は、ハワイの「ロード・ブレアース」という方が務めていました。
インターナショナル選手権者として 長年、日本プロレスのエースだった ジャイアント馬場選手は、日本プロレスを退団し全日本プロレスを旗揚げするのですが、 その際に、 本当は、インターナショナル選手権の現役王者のまま、タイトルを持って出たかった のだそうです。 しかし、周囲の状況は それを許さず、馬場選手は、いさぎよく、タイトルを返上し、 裸一貫から出直しの道を選びました。 しかし、この時、恩師「力道山」の百田家から、 新しく船出する事となった、全日本プロレスに対し、あの力道山ベルト 2代目のインターナショナル・チャンピオンベルトが寄贈されました。 このベルト、 インターナショナル選手権のチャンピオンベルトとして力道山選手が 腰に巻いていたベルトでしたが、 このベルトは、NWA世界ヘビー級王者ルー・テーズのベルトを写して 作られていたため、 実は、Worlds Heavyweight Wrestling Champion と 刻まれていました。
新団体「全日本プロレス」を旗揚げしたジャイアント馬場は、 長年保持したインターナショナル選手権を、「退団のために返上」してきたのですから、 本来なら、そのまま寄贈されたベルトを巻いて、チャンピオンを名乗る事も できたのでしょうが、それをしようとはしませんでした。 じつは、ジャイアント馬場は、プロモーターとしての手腕も一流で、 このベルトを腰に巻くために、世界ヘビー級選手権争奪10番勝負という 大勝負を企画し、世界のトップレスラー達と対戦をしました。
Bサンマルチノ、Tファンク、Aブッチャー、デストロイヤー、Wシュナイダー、 Dジョナサン、Pオコーナー、Bブラジル といった、TOPスターを打ち破り、 1973年、ジャイアント馬場選手の腰に、力道山ベルトが巻かれましたが、 この輝かしい実績は、丁度この時、新しく出来たPWFによって、 PWF認定世界ヘビー級初代王者として認定されました。
この後、ジャイアント馬場選手は、防衛戦を続けていましたが、 1974年に全日本プロレスがNWAに加盟し、このタイトルは、 「NWAが認可し、PWFが認定する PWFヘビー級選手権」という名称に なりました。 これを機会に、新しいチャンピオンベルトが作られたようですが、 デザインは、力道山ベルトと同じ あの「ルー・テーズ ベルト」の基本デザインと そっくりでしたが、ジャイアント馬場の巨体に合うように、 やや大きく作られていたようです。 真ん中の リングとレスラー のレリーフは、世界地図となり、 文字は、PWF HEAVYWEIGHT WRESTLING CHAMPION と刻まれ、 そして、その下に、GIANT BABA の名前が刻まれました。 下のほうの☆型には、力道山ベルトでは、宝石が入っていましたが、 PWFベルトでは、省略されました。 左右に3個ずつある サイドのメダルには、戦うレスラーのレリーフが 入っていますが、力道山ベルトでは、伝統的な3ポーズが入ってましたけど、 馬場のPWFベルトでは、「反り投げ」の1ポーズだけに省略されました。 力道山ベルトでは、サイドメダルの外周にも宝石が埋め込まれていましたが、 これもPWFベルトでは、省略されています。
ルー・テーズのNWAチャンピオンベルトでは、年代によって、てっぺんに 王冠型の飾りが付いていたり、とれていたりしているのですが、 力道山の初代インターナショナル・チャンピオンベルトでは、これを ちゃんと再現してありましたけど、 力道山お気に入りの 2代目チャンピオンベルトでは、省略されていて、 このベルトを原型とした PWFベルトでは、やはり、王冠は省略されていました。
PWF王者のジャイアント馬場選手は、世界の強豪の挑戦をことごとく退け、 防衛回数を伸ばしていましたが、 1974年、時のNWA世界ヘビー級王者であったジャック・ブリスコ選手を破り、 ついに、 日本人初のNWA世界ヘビー級王座獲得という快挙を成し遂げました。
これは、PWF王者として、NWA世界王者を破ったという事で、 堂々たる世界の二冠王となった瞬間でした。 新NWA世界王者となったジャイアント馬場選手は、なんと、 この後、前王者ジャック・ブリスコ選手のリターン・マッチを受ける際に、 NWA世界ヘビー級王座とPWF王座 両方をいっぺんに賭けた ダブルタイトルマッチを行っています。 通常、こういうダブルタイトルマッチというのは、対戦者がそれぞれの 王座を出し合って成り立つものですが、ジャイアント馬場選手は、 チャンピオンの側から2本のベルトを賭けてタイトルマッチを行ったのです。 このダブルタイトルマッチで両王座を防衛したジャイアント馬場選手の PWFベルトを腰に巻き、NWAベルトを肩にかけた勇姿は、 世界中に配信され、 「一度に2つのタイトルを賭けて戦うとは、なんと勇気のある王者なんだ!」と、 世界中から賞賛されたものでした。
このPWF王座は、以下のように推移しています。 初代ジャイアント馬場 → 2キラー・トーア・カマタ → 3ビル・ロビンソン → 4アブドーラ・ザ・ブッチャー → 5ジャイアント馬場 →6ハーリー・レイス → 7ジャイアント馬場 → 8スタン・ハンセン → 9ジャイアント馬場 → 10スタン・ハンセン → 11長州力
第11代王者の長州力選手は、全日本プロレスを離脱するため、王座を返上し、 その後は、第12代王者にスタン・ハンセン選手が就きましたが、 UN王者の天龍源一郎選手に敗れ、天龍源一郎選手は、 UNとPWFの2冠王となりました。 しかし、その後、スタン・ハンセン選手に敗れ、2冠共失ってしまったのです。  12スタン・ハンセン → 13天龍源一郎 → 14スタン・ハンセン
第14代王者のスタン・ハンセン選手は、UN&PWF二冠王者として インターナショナル王者のジャンボ鶴田選手と戦いましたが、 惜しくも敗れ、三冠統一を果たされてしまいました。


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